写真を続けていると、
表現の根っこはどこにあるのか
そんな問いに、何度もぶつかる。

光と影。
そして、演者の表現、現場の空気。
自分が撮影会でずっと大事にしてきたものたち。
背景でも、装置でも、派手な小道具でもなく、
「その人が、その場所で、どう在るか」という点を重視してきた。
白ホリのようなシンプルな空間は、その思想をもっともよく映し出す場所だと思っている。

背景はゼロ。
逃げ場もゼロ。
光、影、身体の線、呼吸。
そこに立つ人の「表現そのもの」が、まっすぐ浮かび上がる。

だからこそ、そこで撮る写真には、
自分の身体で世界をつくる覚悟が必要となる。
だから尊い。
ポーズは形を「真似る」のではなく、
光に対してどう身を置くか。
影とどう対話するか。
感情をどう温度に変換するか。

自分は主催という立場で、
この場所に向き合うモデルたちの横顔や背中を、ずっと見続けてきた。
その経験は、主催としてとてつもなく大きな財産になったし、
カメラマンとしての自分にとっては、
モデルという存在を深く尊敬する理由の、いちばんの根拠にもなった。
モデルが持つ技術には、積み重ねた年月の重さがある。
芸歴にはこの技術が伴ってこそとも思う。

背景の力を利用することと、自分で立つことは、少しジャンルとして違ってくる。
ただ小道具でも、場所も、背景も
作品によっては、最高の相棒になる。
反して、背景のシンプルな空間というゼロの場所に立つとき、
必要なのは身体とそれを司る哲学や美学、そのもので勝負する強さが求められるし、それが何より格好良い。

自分が携わる撮影会は、そんな表現で戦う人が集まる場所でありたい。
光と影と、演者の表現、そしてカメラマンの真心。
そこに宿る表現そのものを信じて撮る人と、一緒に写真を立ち上げたい。
——自分は何で立つのか。
——何に頼り、何を捨て、何を選ぶのか。
その問いに向き合える人と、これからも写真を作り続けていきたい。



