
このあと撮影会イベントの本番がある。
本番当日、いつも思い返すことがある。正確性と表現について。
朝、支度をしながらシャワーを浴びながらそんなことを考えるのがルーチンなのだが、ブログをはじめたこともあって、みなさんと共有できる。自戒もこめて記事にしてみます。
今でも鮮明に覚えているある写真展での出来事がある。
「技術は完璧なのに、どこか物足りない」
当時仕事をよく共にしていたプロカメラマンのつぶやきだった。
長年私の心の中で響き続けている。
写真に限らず、あらゆる表現活動には「正確さ」と「個性」という二つの軸が存在する。
この普遍的なテーマについて、他分野の例を見ながら本質に迫ってみたい。
音楽という鏡
カラオケで100点を取る歌と、ライブハウスで心を震わせる歌。
違いは何だろう。
カラオケマシンは音程やリズムという「正確さ」を評価する。
しかし、我々の心を動かすのは、時にそこからの「ズレ」が生み出す感情の起伏でもある。
ミュージシャンのライブでの演奏を聴いていると、特に感じる。
楽譜から自由になった音の波が、オーディエンスの心を揺さぶる。
それは写真でいえば、教科書的な構図や露出値から意図的に逸脱することで生まれる独特の空気感といえるのではないか。
料理人の選択
祖父は料理人だった。幼い頃、こんな言葉を聞かされた。
「レシピ通りに作れるようになるのが第一歩。でも、本当の料理はそこから」
今、その言葉の意味が、わかる気がする。
大型チェーン店の均一な盛り付けと、料亭の器選び。
計量カップによる正確な測定と、感覚による味付け。
これは、セオリー通りのセッティングと、そこから直感的に光を操作した場合の関係に重なる。
基本を知った上で、その場の空気を読み取り、瞬間的な判断を下す。
そんな選択の積み重ねが、撮影の楽しさであり、唯一無二の作品を生み出す。
踊りの中の自由
ダンサーの友人がいる。
「基本の型を完璧に習得するのに長い時間がかかった。でも踊れるようになったのは、その型を忘れられるようになってから」
競技ダンスの規定演技とストリートダンスのフリースタイル。
振付通りの動きと、音に身を委ねた即興。
写真に置き換えるなら、定型的なポージングと、自然な表情や仕草を捉えることの違いだろうか。
型を知りながら、いかにそこから自由になれるか。
それこそが、表現の第一歩かもしれない。
写真家としての覚悟
冗長ながらここまで話を続けたのは、「正確さ」と「個性」は対立概念ではないということを伝えたかったから。
基本を知り、技術を磨く。
そして、その先にある自由を手に入れる。
時には、意図的に「間違った」選択をする勇気も必要だと最近は強く感じる。
それは単なる間違いではなく、表現としての勇気ある決断だから。
セオリーをマスターし、それを繰り返すルーチンの恐ろしさが何よりも怖い。
「完璧な写真なんてない。あるのは、完璧な瞬間だけだ」なんてカッコいいことも言いたくなるけど、写真に完璧を追求することは、むしろ表現の可能性を狭めるかもしれない。大切なのは、その瞬間が持つ力を最大限活かすことかと思う。
技術を追求しながらも、その先にある何かを見失わない。
表現する者として、そして一人の人間として忘れないようにしたい。
明日、撮影会に参加してくれるあなたはどんな写真を撮るだろう。
その選択に、少しでも迷いが減れば、主催としては超嬉しい限りです。
そして自分自身には、「決まり切った展開」ではなく、モデルと状況を見た最適なアプローチを提供する主催として正しい姿をきちんと果たしたい。
現場でお会いしましょう!


