消費する幸福と、創作する幸福について
タイトルの件、ラーメン屋でいきなり浮かんできた。実に困った。
だけど面白そうだから、さっさと麺をすすりきって急ぎカフェに移動してblogを書き始めている。
人間の楽しみ方には、大きく分けて二つの方向性があるように思った。
無理矢理定義してみたい。
ひとつは、優れたものを享受する喜び。
もうひとつは、自分が関わることで、その価値を増幅させる喜びだ。
例えば、一流の料理人が作る絶品料理と、自分で育てた不格好なトマト。
美味しさだけで評価すれば、前者に軍配が上がるかもしれない。
ところが後者には、味覚だけでは説明できない愛着がある。
水をやり、成長を見守り、ときには虫と戦った。
もはやトマトというより、ちょっとした戦友みたいなもので食べるのも惜しくなるくらいの。
ここで面白いのは、体験の完成度と、そこから得られる幸福度は必ずしも比例しないかもって点。
気になって調べてみた。
心理学には「自己決定理論」という考え方があるらしい。
人間の意欲や幸福感を支える基本的な心理的欲求として、自律性、有能感、関係性の3つを重視する話らしい。
自分の意思で関わり、自分にも何かができると感じ、誰かとのつながりを実感する。
人間って、素晴らしいものを与えられるだけでなく、自分の存在が何かに影響しているという実感にも喜びを見いだす。
これは趣味にも仕事にも、人間関係にも当てはまりそうだ。
完成された作品を鑑賞するのも楽しい。
しかし、何かが生まれ、育ち、変化していく過程に関わると、そこには別の面白さが生まれる。
写真撮影を日課とする僕たちならすごくわかる話だ。
自分が時間や労力を注いだ対象を「自分にとって特別なもの」と感じる心理。
完成したサービスを利用するだけでなく、その改善に関与できれば、その成果に対する愛着も変わってくる。
価値を受け取る立場から、価値をつくる立場に。
以前、京都遠征に行ったおり「価値をつくる仕事です」という看板を見つけては深く感動したことがあった。自分もそういう稼業のはしくれだ、って思った。このときもちょうどラーメン屋に向かう最中だった。(どうでもいいw)
芸術の世界にも、似た発想があるってことを教わったことがある。
芸術を完成した物質としてだけでなく、人間の経験の中で成立するものとして考えた哲学者がいたらしい。
鑑賞することも、想像力を働かせて意味を生み出す能動的な営みなんだって。
行為そのものが価値に!なんて感動して調べていたら、さらに現代美術には、人々の交流や関係そのものを作品として扱った関係性の美学という考え方まであることを知って唸った。
撮影会主催をやっていて、大勢と交流することで得られた喜びの根源を言い当てられたようで嬉しかった。
作品って言葉は人によっては少しくすぐったいかもだけど、それは必ずしも作家が写真なり音楽なりを完成させて客に渡すだけのものじゃない。
人と人との間に生まれる出来事そのものが、芸術になり得るって考えに触れて気分があがった。
まとめに入る。
消費行動は、何もする必要のない贅沢。
共創は、何かをすることで豊かになる体験。
前者には完成された世界に身を委ねる幸福があり、後者には自分の行為によって世界が変わる幸福がある。
もちろん鑑賞するだけでも感性や想像力は働くし、かたや未完成だからといって勝手に手を加えてよいわけでもない。
相手を支配する権利なんてないし、「俺が育てた」と言い始めた瞬間、共創は単なるお節介に変わってしまう。かなり痛いし、界隈でも見かける。案外ありがちで怖いので、気をつけたい。
大切なのは、関与できた結果、相手の可能性も自分の喜びも広がっていくことなんだと思う。
創作を好む人や、何かを企画したり、人を応援したりすることに夢中になる人は、この後者の幸福に敏感なんだと思う。
人生には、素晴らしいものを受け取る時間も必要だし、自分の手で何かを育てる時間も必要に感じる。
そして、どちらの楽しみ方も知っている人は、完成されたものの美しさにも、未完成なものの可能性にも心を動かされる。そういう人特有の顔ってのがあって、主催者をやっているとわかるようになった。
何が自分を楽しませてくれるのか。
自分は何を面白くできるのか。
そんな問いを重ねることが、創作の引き金になる。
見慣れた風景にも、誰かの挑戦にも、これまで気づかなかった価値が見えてくる。その瞬間を写し取れるのは、フォトグラファーの特権かもしれない。自ずとやるべきことも見えてくる。
幸福を探すだけでなく、幸福を生み出す側にも参加してみないか。
そんな話を一部の常連さんに持ちかけてみた。
しかし結果は散々で、これもまた興味深い。
また別の機会にでも。
考えてみれば、これほど自由で贅沢な遊びもない。
いっぱい写真を撮ろう。

次はRinちゃん企画で会いましょう。

