正直、この記事、ぜんぶ書き終えたときに思った。
「あ、これは、公開できないやつだな」って。
内容が…というより、自分の中でずっと温めすぎていて、
出すには何かしらの”タイミング”が要る気がした。
勇者の会でネタにする手もあったけど、
あの場は酒と笑いが勝ってしまうから、たぶん伝わらない。
でも、いつかはどこかで言葉にしておきたい話だった。
だから今回は、その一部だけ、そっと置いておきます。
──もし、どこか引っかかることがあれば、続きを想像してみてください。
(中略)
それはストリップでも同じだろう、ステージに立つ踊り手のテンションは、観客のリアクションに左右される部分はゼロではない。
ライブも同じ。客の反応が悪ければ、全力のパフォーマンスは難しい。
それは撮影会も、少し似ていると思う。
モデルが主役である以上、カメラマンがどんな目で彼女たちを見ているのかが、その場の空気に大きく関わってくる。
無反応でいることが、無言の「圧」になることだってある。わかっていても、実践には勇気がいる。それもわかる。
ただ、その一歩を踏み出さないままでいるとしたら──
知らず知らずのうちに、自分の写真から可能性の芽を摘んでしまっているのかもしれない。
(後略)
リアクションするって、たしかに難しい。
余裕がないとできないから、つい無口になってしまう。
だから自分は、瞬発力が求められるステージ撮影のような環境で、
身体のほうから時間の感覚を広げてみた。
結果、ポートレートという行為にも、
静かだけど確かなタイミングが見えてくるようになった。
モデルの創作意欲が、シャッターの手前に現れる瞬間。
その流れに関わろうとする意思があるだけで、
写真はすこしだけ、芯のあるものになっていく。
「関与する」って、押し付けじゃなくて、
ただ静かに、同じ景色のほうを向こうとすることかもしれない。
表現としてのポートレート。
その一枚が誰かに届くなら、
たぶんそれは、撮る側も何かを差し出した写真なんだと思う。



