レモンフォト以前の撮影会から数えると、そこそこに長い時間撮影会に携わってきました。これもみなさんのご愛顧あってのことですが、そこで得たことの数々が、自分のカメラマンとしての成長にも大きな栄養になったことは事実です。おそらく、のべ数百、下手したら1,000人以上のカメラマンと向き合ってきた中で、共通して強く感じることがいくつかあります。
技術的には申し分ない。
露出も構図も、基本はしっかりしている。
全身撮影でアイレベルを下げることも、もはや常識として身についている。
それなのに —— なぜだろう。
見ていて胸が熱くなるような写真かというと必ずしも・・
そこで考えられるのが、「シャッター係」になってしまっているのではないか、という点。
これを仮説として進めてみる。
「顔のアップを撮って」と言われたとき、あなたは何を考えるか
よくある光景だ。
「次は顔のアップでお願いします」というテーマが立つ。
すると皆さん、ファインダーを覗き込んで、顔が画面いっぱいに入るよう位置やレンズ焦点距離などで調整する。露出を確認して、シャッターを切る。
技術的には完璧だ。
でも、そこで終わっていないだろうか。
その顔のアップで、あなたは何を表現したかったのか。
どんな表情を引き出そうと思ったのか。
見る人にどんな感情を抱かせたかったのか。
私が思う真のカメラマンとは、モデルの目となり、鏡となる人だ。
彼女の魅力を存分に引き出し、時には本人も気づいていない美しさを発見して、それを写真に刻む。
そんな人だ。
1枚の顔写真に込められた重み
考えてみてほしい。
顔という、わずか数十センチ四方の空間の中で──
いまこの瞬間も、世界中の巨大企業が技術と美学を注ぎ込み、しのぎを削っているという事実を。
資生堂、CHANEL、L’Oréal、Estée Lauder、DIOR、Guerlain、Yves Saint Laurent、Lancôme、CLINIQUE、BOBBI BROWN、NARS、M·A·C、shu uemura、PAUL & JOE、JILL STUART、DECORTÉ、ALBION、KOSÉ──
これらのブランドは、「美とはなにか」を定義しようと、数十年、あるいは百年単位で問いかけ続けてきた思想そのもの。
CHANELやDIORは、オートクチュールの哲学を香水やメイクに宿らせ、季節ごとに“流行”そのものを生み出す。
La MerやClé de Peau Beautéは、皮膚科学の粋を集めて、一本のクリームに未来を込める。
Tom FordやYSLのリップは、ただの「色」ではなく、女性に生き方を示す旗印になる。
顔という空間に、人の思想が宿るなら──
それは「どう見せるか」だけでなく、「どうありたいか」という話にもなるし
一方で、RMK、THREE、Celvoke、FASIO、無印良品、CHIFURE、ORBIS、Kiehl’s、THE BODY SHOPといった、より日常に寄り添うブランドたちは、
誰もが「自分の肌にちょうどいい」を探せる提案をしています。
さらにSNS時代のトレンドを担うのは、CANMAKE、CEZANNE、Rom&nd、Clio、NYX、Essenceなど、プチプラや韓国・欧米の新鋭たち。
ここでは“発想力”が勝負の世界。性別を問わず、自由な表現が前提となり、これらを選ぶということは・・という答えも見えてきます。
これだけのブランドが、何十億、何百億という投資をして、
ただ「見せる」ためだけでなく、「生き方に触れる」化粧品を届けようとしている。
なぜか?
それは、人が“誰かに見られる”こと以上に、“自分自身とどう向き合うか”を大切にしているから。
美しさとは、表現であり、選択であり、意志でもある。
だからこそ、あなたがシャッターを切るその瞬間にも──
その顔の奥には、無数の選択と願いがある。
ただ「撮る」のではなく、「受けとる」ことから、写真は始まるのかもしれません。
「自分の写真は可愛い」って思う気持ち
長年やっていると、誰もが陥る罠がある。
「自分の写真は可愛い」という感覚。
私も、そうだし甘い。撮影会主催として、そして時に商業カメラマンとして、多くの写真を見てきた経験から、タカをくくっていた時期もあり、本当に恥ずかしい限りです。
しかし、ある日気づく。
本当にこれが最高の一枚なのか、と。
客観的に見つめ直したとき、改善の余地がいくらでもあることに愕然としたし、モデル本人が撮影するセルフィーにはもっと多くの知見とノウハウと愛がこめられていた。
今でも、撮るたびに「もっと良くできたはず」と考える。
その謙虚さを失った瞬間、成長は止まるんだと思う。
撮影会という戦場で真価が問われる
「撮影会は制約が多くて本気を出せない」——そんな声をよく聞く。
確かにそうだ。限られた時間、多くの参加者、様々な制約。
スタジオでじっくり撮るのとはわけが違う。
だが、現実にその環境で素晴らしい作品を生み出しているカメラマンがいるのも事実でもある。
彼らは特別な機材を使っているわけではない。
制約の中でも妥協しない姿勢、モデルとの瞬間的なコミュニケーション能力、そして何より「この一枚に全てを込める」という感覚で、ワークフローを最適化しているような気がする。
今回の企画に込めた想い
この文章を読んで、「説教臭い」と感じられるなーと緊張しながら書いている。「偉そうに」と思う方もいると思う。
だが、これは批判でも批評でもない。期待から立脚したものになっていると思って欲しい。
常連さんの、場面においてはある特定の顔を想像しながら書いていることもある。
基礎がしっかりしている皆さんだからこそ、次のステージに進める。
技術から表現へ。記録から作品へ。
そのポテンシャルを秘めているからこそ、あえてハードルの高い要求をしてしまう。でもこれはすべて期待からおきているってことは理解して欲しい。
今回の企画を通じて、一緒に考えてみませんか?
自分なりの表現とは何か。モデルの心をどう動かすか。見る人の記憶に残る一枚をどう撮るか。
最後に
撮影会の現場で、これまで数え切れないほどの写真と出会ってきました。
ときに、技術的に完璧であっても心に残らない写真があり、
逆に、少し荒削りでも強く心を動かされる写真もあります。
その違いは何か──私は、そこに撮り手の想いと熱量があると信じています。
そして、その情熱や覚悟に触れるたび、私自身もまた励まされ、
この仕事を続ける原動力をもらってきました。
だからこそ、皆さんの次の一枚が、
技術と表現力の両方を備えた、誰かの心を震わせるような作品になることを、
心から願っています。
それが新しい感動を生み、また誰かの背中を押すような一枚になっていく──
そんな循環が起こる場でありたいと、レモンフォトの企画をつくり続けています。
少し理想が過ぎるかもしれませんが、
私は本気でそういう場を皆さんと育てていきたいと思っています。
その実現に向けて、今回も精一杯がんばります。


