撮影会から離れて気づいた、もう一つの”表現”の世界

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2023年まで、私は撮影会に人生の大半の時間を捧げてきました。
一人のモデル 星野くるみを軸に何年もポートレート写真を多角的に掘り下げてきた経験は、今でも自分の核心にある大切な時間です。

この撮影会の企画や体験、そして残された写真の存在が、私にとっての「表現」のすべてでした。

しかしそれは永遠に続くわけもなく、2024年には形式を変えざるを得ない状況が訪れました。それは、撮影会の原点を揺るがし、盤石であったものを見つめ直す機会となります。

何をどう撮ればいいのか、何のために撮るのか——そんな問いすら生まれてくる瞬間でもありました。

その感覚を抱えながら、私はカメラを置いて「外の世界」に目を向けるようになっていきます。

ライブハウスで出会った、命を燃やすような表現

ある晩、足を運んだ小さなライブハウスで、思いがけない発見に出会います。

若いアーティストたちが、言葉にならない叫びを音楽に託して、全身全霊でぶつけてくる。
マイクを握る手が震え、声が枯れるまで叫び続けるその姿に、私は心を揺さぶられました。

必ずしも整った演奏でもない。
でも、そこには命を削ってでも何かを伝えたいという、激しい衝動に共鳴するものがありました。

観客も演者も一体となって、その時間を共有している —— それはたぶん写真では切り取れない「今」の力だったのです。

阿波踊りとダンスステージで見た「身体の説得力」

夏には地元の阿波踊りの現場にも通いました。
群舞の一糸乱れぬ美しさ。笑顔の奥にある集中と解放感。

踊り手たちの身体は、言葉を超えた何かを放っていました。
私は純粋に一観客として、その「熱」に魅了されていきます。

そして機会があり、ダンスステージのイベントにも足を運びました。ファン目線でのスタンスも、とても勉強になったし新たな発見も多かった。
そこで出会ったのは、照明と音楽、身体の動きすべてで世界を作り出す表現者たち。

彼女たちの一挙手一投足には、誇りと覚悟が宿っていて、表現とは何かを考えさせられました。

身体一つで観客の時間と感情を背負う。
それは、ポートレートで切り取る瞬間とはまた違う、圧倒的な「現在」の力だったのです。

技術を超えた「共創」としての写真

長らく私は、ポートレート撮影において、ライティングの組み方や後処理の技術など、手元で操作できる部分に表現の本質があると思い込んでいました。しかし今、振り返ると、真の表現とは、そういった技術的な「細工」だけではなかったことに気づかされます。

撮影とは、カメラを持つ自分と被写体となる相手との間に生まれる感情の交流であり、言葉にならない対話であり、時に駆け引きでもある——そうした「共創」の営みそのものが、写真表現の核心だったことにたどり着きました。

以前にも触れたような気がする悟りに似たようななにか、この衝動があらためて今、様々な表現の現場に触れて、再びその感覚が蘇ってきたのです。

同時に、自分がいかに表現の表層だけを追いかけていたか、本質と向き合えていなかったかを痛感します。その自覚は時に恥ずかしさとなって胸に迫りますが、それもまた成長の一部なのだと受け入れています。

撮影会に戻って感じた新たな視点

しばらくして、再び熱量を高め、撮影会という「古巣」に戻ってきたとき、新しい視点が生まれていることに気づきます。

長年慣れ親しんできた空間が、少し違って見えたのです。

もちろん、撮影を楽しむ人たちの姿は変わらず素晴らしく、そこに集まる皆さんの熱意は本物だし、御本人たちの意思は別として自分としては何よりも大事なコミュニティだと考えています。

ただ私自身の中に、外で見てきた「表現」との間で、何か新しい問いが生まれていました。

撮影会は今も変わらず私にとっての大切な外界との接点であり、共に創作を楽しむ大切な居場所です。

だからこそ、考えるようになりました。
いわゆる「外界」で体験した様々な表現の「熱量」を、この場所でも共有できないだろうか、と。

シャッターを切る理由

私がライブハウスで、阿波踊りの現場で、ダンスステージで感じたものは、単なる娯楽ではなく、それは自分の内側から湧き上がるものを形にしようとする人々の、真摯な表現でした。

それに触れたとき、自分も写真を通して「何か」を伝えたいと思っていたはずだ、と改めて気づいたのです。 撮影会という場でも、そんな思いでカメラを構えることはできるのではないか。 本気の感動、本気の視線、本気のシャッター。それを、もう一度大切にしたいと感じました。

どんな瞬間に、シャッターを切りたくなりますか? どんな時に、心が動きますか?

ただ純粋に撮影を楽しむ。それは素晴らしいこと。
そして時には、原点に立ち返ることも、新しい発見があるかもしれません。

今、私自身もまだ答えを探している途上です。
でも、この問いを持ち続けることで、写真という表現がもっと豊かになると信じています。

これからのレモンフォトが、皆さんにとっても新たな「表現」との出会いの場になれば嬉しいです。 一緒に、それぞれの「現在」「衝動」「原点」を探していきましょう。