正直な話をすると、
撮影会の主催という立場だけで言えば、
ストリート企画のほうが、白ホリ企画より気持ちは楽だ。
街の空気や光が、
写真をある程度、成立させてくれるから。
街の空気、時間帯、偶然の光。
そこに立っているだけで、写真はそれなりに成立してしまうからだ。
一方で、白ホリゾントは何もない。
背景も、物語も、そして言い訳もない。
だから白ホリでは、
被写体がものを言う。良い意味で、うるさくなる。
表情、姿勢、目線、呼吸。
その人が「どう在るか」だけが、前に出てくる。
白ホリでは、人が語る。

光についても明確で、
白ホリは、光の癖を隠してくれない。
硬さも、回り込みも、設計の甘さも、全部写る。
つまりこれは、光を見る練習であり、
現場の思想が、そのまま残るシーンでもある。
ストリートには、時代や場所の強度がある。
白ホリは、いつ撮ったのか、どこで撮ったのかわからなくなった頃に、
それでも残っているかどうかが試される。

余計な説明を削ぎ落とした先に、
まだ写真として力を有しているものへの憧れが、
自分の中にあるのかもしれない。
そう考えると、人を撮るなら、ここだと自分は思っている。

暖かくなれば、またストリートロケもやる。
そして、白ホリもやる。
ただ、白ホリは少しだけ、
こちらの覚悟を要求してくる。
だから、面白い。

