いきなりですが、
ポートレート写真を撮っていて、
こんな感覚に覚えはないですか?
- 技術的にはちゃんと撮れているはずなのに、反応が薄い
- 逆に、そこまで狙っていなかった一枚がやけに残る
- なぜ刺さったのか、自分でもうまく説明できない
撮影会という場では、特にそれが起こりやすいように思えます。
同じモデル、同じ場所、同じ時間。
条件はほぼ同じなのに、
写真の「強さ」に、はっきり差が出る。
当たり前っちゃ当たり前なのだけど、これまで深く考えて来なかった。
その違いは、
才能やセンスの差というよりも、
どこを見て、どこを選び取ったか
その一点に集約されていると考えています。
今回は誰もが思っていたけど、あまり語られてこなかった撮影会のメカニズムを中心に、
攻略的に技術を当てにいく話ではなく、
現場で何を見るか、何を選ぶかという内容で話を興してみます。
全部を良くしようとしない
写真がどうも納得がいかないとき、
ついこう考えてしまいます。
- ライティングが甘かったのか
- 構図が弱かったのか
- 機材の選択が悪かったのか
もちろん、それらは大切なのですが
撮影会で写真の印象を大きく変えているのは、
実はそこではないことが多いように、僕は思います。
ポートレートには、この2つの要素があって
- どれだけ整えても、写真の印象があまり変わらない部分
- ほんの少し触るだけで、写真の意味が一気に変わる部分
これらが共存しています。
前者は「整える技」。
後者は「選び取る技」。
撮影会で差が出るのは、
ほとんどの場合、この「選び取る技」な気がします。
写真が刺さるときの、共通した構造
SNSなどで、反応の良いポートレートを振り返ると、
そこにはある程度、共通した構造があるように思えます。
それは、とてもシンプルで
- 多くの人が状況を理解できる
- 見る側が真似たくなる
- あとに残るポイントがある(余韻、行間)
たとえば、
- 完璧な笑顔より、笑う直前の迷い
- 決めたポーズより、ポーズを解いた瞬間
- 強いカメラ目線より、視線が泳いだ一瞬
これらはすべて、
「見たことがあるはずなのに、ちゃんとは見たことがない表情」で
だからこそ、
見る側の感情が、ふと引っかかるのではないでしょうか。
ちなみに僕が撮影会のPRで利用する写真の大半はこれです。
これは撮影会をスタートした初期から意識してきました。
撮影会は、感情が表に出やすい場所
撮影会主催が言うのもなんですが、撮影会はポートレート撮影の中でも少し特殊な環境です。
- モデルは緊張している
- カメラマンも緊張している
- 周囲に人がいる
- 時間は限られている
その結果、
感情が隠しきれずに滲み出る瞬間が多数隠れています。
刺さる写真が生まれやすいタイミングを思い出してみます..
- カメラを下ろした直後
- 指示が途切れた一瞬
- うまくいかなかった後の照れ
- 褒められた直後の戸惑い
そこにカメラを向けられるかどうか。
それだけで、写真の温度は変わります。
シャッターチャンスをものにできるかどうか、瞬発力は必然とも言える所以かも知れません。
「こういう写真が正解」という思い込みを疑う
「このタイプの写真がウケるはず」
「ザッツ撮影会な写真ってこれだよね」
そう思って撮った写真ほど、
意外と反応が薄いことがあります。
なぜなら、
- 前回は、たまたま刺さっただけ
- そのモデルだから成立しただけ
- その日の空気だから成立した
そんな可能性が、常にあるからです。
だからこそ、
一度刺さった写真を「正解」と決めつけない。
- なぜ今日はここに反応したのか
- 前回はなぜ気づかなかったのか
- 別の撮影会でも同じことが起きるか
そうやって、自分の感覚を疑い続ける。
できる範囲で、客観性の鬼になってみるのもいいかも。
この積み重ねが、
「再現性」を与えてくれると思っています。
技術よりも、「ちゃんと見ていたか」
ポートレートは、
被写体を美しく写す技術競争ではなく、
人を見るときの感情を、
どれだけ写真に残せるか
その表現だと、僕は思っています。そう気付かされました。
伸びた写真は、
往々にして、才能の証明ではなく
ちゃんと見ていたという証拠だと思います。
撮影会は、その練習場として最高の場所でしかない。
主語が大きいと胡散臭いので、少なくともレモンフォトの撮影会はその練習の場として最適な環境を提供できていると自負しています。
少人数制だからこそ得やすい要素が多々あります。
- 完璧を狙わなくていい
- 正解を当てにいかなくていい
- 被写体をよく見る
そういう意識で迎えるシーン、例えば脇撮り時とか
「脇撮りのほうが良い写真がある」って思ったことありませんか?
すべてがそうだ、という訳じゃないけど
ひとつの解法という意味での話ですが、そういう意識だけで写真は変わりはじめます。
観察と感情を鍛えるために
ここからは、少し個人的な話になりますが、
この感覚は撮影会にもそのまま通じる話だと思っています。
僕が「観察すること」や、
「自分の感情が動いた理由」を
意識するようになったきっかけは、
音楽のライブステージでした。
同じ曲を聴いているはずなのに、
日によって刺さる場所が違う。
歌詞だったり、
ブレスの位置だったり、
ほんの一音の揺れだったり。
なぜ今日はそこに反応したのか。
なぜ前回は気づかなかったのか。
その違いを考えることが、
自分の感情を丁寧に追いかける練習になっていました。
ポートレート撮影も、
きっとそれと同じで
なぜ今、この表情にシャッターを切ったのか。
なぜこの一瞬だけ、心が動いたのか。
その理由を無視せず、
ちゃんと自分の中で認識すること。
できれば言語化し、さらに欲張っていえばそれを他人に届け
なおかつ共感を得られるようなパッケージでリリースすること。
僕にとって音楽は、
その感覚を磨くための、いちばん身近な教材でした。
写真を撮ることも、
音楽を聴くことも、
やっていることは案外似ています。
どちらも、
自分の感情が動いた瞬間を見逃さないための練習。
だから今日も撮影会では、
うまく撮ろうとする前に、
自分の感情が動いた理由を探しています。
記録者としてのフォトグラファーも素敵だけど、表現者としてのフォトグラファーとして立ってみませんか?
仲間を探しています
少人数制で、観察と会話を大切にした撮影会をやっています。
タイミングがあったときは遊びに来てくださいね。
この考え方は、撮る側だけのものではありません。
レモンフォトでは同じ想いで現場を作ってくれるモデルを募集しています。
満足いく自己表現を目指したい方、仲間に加わってください。
待ってます。


